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五里霧中の人生に、如何にして方向性を与えるか

 人生は可能性に満ち溢れている、と人は言う。確かにそうだろう。しかし、可能性があるために苦しいのも人生である。何かを選ぶことは何かを選ばないことである。我々は死ぬまで何かしらの可能性を持っている。故に死ぬまでこの苦しみを抱えるのだろうと考えてきた。しかし今では、その苦しみがかなり和らいでいる。

 

 大学生の時は人生が辛かった。やるべきことが見つからず、若さを浪費していた。「なんでもいいから始めてみればいい。」そのようなアドバイスを受けることも多かったが、納得できなかった。何かを始めたはいいが、本来自分がすべきことではなかったら?北に向かうべきなのに、南に進んでいたら?

 五里霧中の人生で一歩を踏み出すことは本当に難しい。今思うと、そのように考えるのは「本来自分があるべき場所」、(もっと言うと)「自分が100%の実力を発揮し適切に評価される状態」がどこかにあると無条件に信じていたからだろう。そんなものはどこにもないし、誰も用意してくれないのだが。

 ひとことで言えば、暗闇は可能性である。暗闇の中一歩踏み出すことは、自分の背後にある可能性から一歩遠ざかることを意味する。故に怖いのだ。

 

 この恐怖を乗り越えるには、自分の可能性を「自分にとって価値があるもの/ないもの」で分類することが有用である。そして「価値のない可能性」を捨てる、意識を向けないことである。そうすると、自分にとって真に重視すべき可能性は全体からみればほんのわずかだと気がつくだろう。周囲を囲む暗闇の8割は晴れる。そうすると、残った部分が道のように見える。それが人生の方向性である。一歩を踏み出すことにもう躊躇いはない。自分の背後の可能性に意味はないのだから後悔する必要はない。

 

 大抵の人は、老いによって、もしくは責任を背負うことによって上記の問題を解決しているように見える。「俺も若くないから/家族がいるから/サラリーマンだから」できることは限られているというわけだ。最初から可能性がほとんどないと考えれば、なるほど、失う恐怖などどこにもない。しかし少なくとも私は、自分の人生を自分で選びとって行きたいと考える。そうやって、自分の人生に対して誠実でありたい。

 人生を丸太や岩の塊だと考える。うまく削っていけば立派な彫刻になる。雨風によって満遍なく侵食されれば、ただの劣化にしか見えない。可能性をうまく削ることが人生に意味を与えると信じている。